2016年6月13日 Tsuguインタビュー Vol. 1
2016年5月100人撮影を達成した時の気持ちを真空パックしてもらおうと思って、インタビューしてもらいました。
撮影のコンセプト、撮影をとおして変化したこと、感じたこと、2016年9月から始まる写心の学校のこと、そしてこれからのことなどたくさんお話しました。インタビュー時間は1時間半。その時間をぎゅぎゅっと凝縮して、3回シリーズでお送りいたします。
人柄写心家Tsuguの普段の会話の雰囲気や息遣いも楽しんでいただけるように、そのままの言葉をお届けします。
どうぞお楽しみください。
「It is my Life」5月100人撮影のコンセプト―――――
ーーーでは、まず5月100人撮影、おめでとうございます!
ああ、ありがとうございます(笑)。
ーーー本当に達成して、すごいなって思ってました。
ね。ほんと。長かったです(笑)。5月10日の時点で、「あ、まだ10日なんだ・・・」って言ってた。
ーーーその時で何人ぐらい?
その時まだ、20人とか。
半分、折り返して50人行ってなかった、15日とかで。最後がもう、4人とか5人とかそういう日がほとんど。9時、10時半、12時、1時半、3時。部活の気分(笑)。
ーーー(笑)。
9時から5時までやって。朝から夕方までやって。飯を食わないで飲み物だけで過ごす。家帰ったら筋肉痛になってる、体が疲れて。なんか、修行でしたよ。
ーーー修行って、どういうところが修行?
どういうところ、かぁ・・・。全部ちゃ全部なんだけど。コミュニケーションもそうだし、撮影の技術もそうだし。集客とか人を集めるっていうことの、本当に根本を見たような気がするし。全部をグレードアップした気分です。
ーーーみなさん集まってくれたのが、本当にすごい。Tsuguもきちんと想いを伝えたしね。みなさん何に共感したかと考えると、やっぱりコンセプトに共感したのかなと思って。
あーー、なるほどね。
ーーーあのコンセプトにしたきっかけとかはあるの?
うーーん。きっかけ、か・・・今までやってきていることを、違う言い方したっていう言い方でも、まぁ正しいかなぁと思うし。その人自身の生き方、「It is my Life」っていうのが、メインで。「これがあなたの人生です」と。今まで生きてきた過程とか、そういうふうなのを見てもらえる、一番その人自身が感じてもらえる撮影ができたらいいな、と。だから、何かを足したり引いたりするわけじゃなくて、撮影でね。まんまを受け取ってもらえたらいいかなぁ、と。まぁ、ある人にとっては、遺影写真になってもいいかもしれないだろうし。本当に記録写真っていえば記録写真かもしれないし。その人の本当に「いま・現在」をカタチにした体験だったんじゃないかなと思うけどね。
ーーー私は今回、娘を参加させてね。以前私がTsuguの撮影で体験したことを、娘に体験させたかった。今回私も企画に乗ると、娘が「ついで」みたいに感じたら嫌だなと思ったのね。
うん、なるほどね。
ーーー今回のコンセプトにとても共感して。娘が悩み苦しんだことを、娘自身がそのまま受け取ってくれたら嬉しいな、と考えたの。苦しいけどでも頑張ってる、みたいなところも全部「ああ、よかったな」と思ってくれたらなぁ、と思って。でね、あの告知文のサイトを見せたら、「いいねー」って娘が。どこにいいと思ったのかすら聴かなかった(笑)。
いやいや、それ聴いて欲しかったー(笑)。
ーーーいえいえ(笑)。そこで、私が根掘り葉掘り聴いたらダメでしょ?
ああ、まぁね。
ーーー彼女自身、すごく撮影を楽しんでいた。当日の夜、すごく生き生きして撮影の話をしてくれたの。送られてきた写真を見て「いいねー」って嬉しそうにしてた。
ふぅーーーん(笑)。
ーーー成長した娘の姿を客観的に見せてもらえて、本当に感動した。私が撮ると子供の顔になるでしょ?
そりゃそうだ!
ーーー外でどんな顔してるのかとか、どんなふうに生きてるのかを客観的に見せてもらえるいい機会だった。彼女がどうやって今を生きてるのかが、ものすごく出ている気がして。何度見返しても感動する。
へぇーー。
ーーーこういう企画って、男の子のお母さんはわからないんだけど、年頃の女の子のお母さんにもオススメ。成長して、手が離れてから我が子の姿を見るってなかなかないから。
ああ、そうねー。
ーーー自分の娘が「生きている」っいうのが、すごく感じられた。まさに、あのコンセプトの通りだなぁって。素敵なコンセプト!みなさんの感想を読ませていただきました。日常の自分や飾らない自分を見られて、すごく喜んでるように感じられたかな。
ああー、そうね。すごく喜んでる人もいた。
ーーー「も」いた?(笑)
っていうのは、想像していた自分と全然違くて「絶望に落ちた」みたいな人もいた。でも、それで、なんだろ。落ちちゃって行く人もいるし、そこを機に改善しようという人も、もちろんいたなっていうのが感想。それはもうその人の人生というか生き方だから。
ーーーそうね。どう受け取るかはね。
そう。だから、本当に正直にでるのが俺の写真だなぁと思うし。
ーーーTsuguさんの前では隠せないって、コメントけっこう書いてあったね。
書いていた人いたねー。
ーーー隠したいのね、みんな・・・と思いながら。
格好つけたくなるんじゃない?多分。カッコつけたところでねぇ、って話だけどね。
ーーー見えちゃう。
うん。そう、見えちゃうんですよ。
自分の期待に応えることが第一 ―――――
ーーーあれからファンがすごく増えた気がしていますが・・・
うん、多分。本当に今までのやり方の延長線上が、すごく評価されていったんじゃないかなって。ひとりのお客さんに満足してもらって。で、気に入ったから、その友達とか知り合いに電波していくやり方をずっとしてきて。それを本当に1カ月間、凝縮して連鎖していけたんじゃないかなって。というのが今回の撮影だと思うし。
ーーーひとりのお客様を満足させるために、何を一番大切にしているのかしら?
そうねー、お値段以上的なこととか、期待値を超えることっていうのは、意識してるかな。ただ写真に撮られに来て、ただいい写真ができました、終わり。じゃ、多分広がらないと思うんだよね、普通だから。それプラスアルファ、俺にしかできないこととか。Tsuguのところに行くと、ようは裸にされてしまうとか。そういうところがメインになるんじゃないかな、とか意識はしている。それがあるからどんどん繋がっていくんだと思うし。だってカメラマンが写真上手くて普通じゃん。
ーーーまぁ、カメラマンさんだからね。
そそそ。だから、その枠に収まらないっていうのは大事なんじゃないかな。その・・・刺激を与える人みたいな。
ーーー刺激?
「刺激物だね」って言われる存在でありたいなぁって。会うと元気になるというか、ちゃんとやろうとか、もっと自分に手間かけてあげよう、とか、その人がその人を大切にしようとか、そういうふうなきっかけになったらいいな、と本当に思うしね。そのための体験、撮影という。
ーーーその人自身が自分を丁寧に扱ってほしいっていうのが、一番根本にあるように聴こえるんだけど・・・
うんうんうん・・・うんうん。そうね!誰かの期待に応えるのが普通とか思っている人が今回も多かったなと思って。いやいや、自分の期待に応えるのがまず第一なんじゃないの?と。主役は自分だし。誰かに主役を譲ることはないと思うし。なんでそんなに誰かを主役にしてるんだろうって。
ーーーそれは、会話をしていて感じるの?
うん。そうだね。誰かの期待に応えるのを「当たり前」にするっていう意識ではない。誰かの期待に応えることが「普通」。「当たり前」より上なの。当たり前は意識してるじゃん。呼吸するように誰かの期待に応えることが前提になってる。
ーーー例えば、母親だったら、母親の役目をするっていうこと?
うんうん、そうそう。自分は二の次。二の次以上、三の次とか。家庭のためとか、自分にもお母さんがいるわけじゃん。で、そのお母さんから見ていい子であるためとか、良い母親であるためとか。そういうのばっかり考えている人が多いかな。それで自由にやってるんだったらいいんだけど。
ーーー好きでやってるなら、ね。
そうそう。まぁ、不自由そうな人が多かったですよ。でも、別にすごい不満足というか、不満があるわけじゃないんだよ。
ーーーつまり、生活はほどほどちゃんとしてる。
「ほどほど」ちゃんとしてるし。
ーーーいろいろなものは揃っているし。
家庭があり、家庭がなくても仕事が充実していたりとか、恋人がいたりとか。そうそう、ね。だから聴くとすごく満足はしていないんだけど、不満もそんなにない。
ーーーその状況に気がついていない?
世界が狭くなってるというか、そういうふうにしているのが当たり前すぎるから。それが不満になっているとか、世界が狭くなっているというか、視野が狭くなってるとかに、気づいていない。で、こっちから「なんで?」って問いかけると、ぽかんとする人が多いかもしれない。
ーーー初めて言われる質問だから?
うん。「だって、自分の幸せに応えるのが普通じゃないの?」って聞かれると、(数秒間をおいて)「!! ああーーーーー」みたいなテンポ。「考えてみたらそうだね・・・」みたいな。
ーーーちょっとフリーズしちゃう感じ。
うん。確かにね、彼氏とか旦那さんとかいう人がいて、それを大事にするのもわかるし、それで子どもができて、子どもを大事にするのも、もちろん、そうだろうけど。その前に自分じゃない?自分の人生。それを大切にしないで何を大事にするの? って感じだと思うんだよね。だから「そこ大事にしようよ」みたいな。それを撮影で何か感じてくれるんじゃないのかなぁって。
現実も未来も創るもの。だから「いまどうしたい?」――――――――-
ーーーきっと、撮影がひとつのきっかけになるだろうね。
まぁ、そうだろうね。そういうふうに言ってくる人も、周りにはいなかったんだろうしね。言ってきたとしても、気づかないふりとか。聞こえないふりとか・・・
ーーー「いや、だってね」とか・・・
そそそ、「いやだってね。でもね、だってね、でもだって・・・」
ーーー「だってこうじゃない? 現実が」とか・・・
現実も未来も作るもんなんだよ。描いた未来しか来ないから。そういうもんだと思ってれば、そういう未来がやってくるしね。だから、今どうこうとか、過去どうこうとかじゃなくて。
「いま、どうしたい? 何したい?」
これから先、何を創っていきたいか、問われるじゃん。
ーーーあの撮影が、そこに繋がっていくのが面白いよね。
一旦裸になった人が、そうやって変わっていく人が多いわけでしょ。そそそ、うん。だからいろんな方向の話が飛び出るけど、「だからあなたの人生なんだよ」っていうところに全部戻ってくるのね。そういうふうに生きてきたけど、それもあなたの人生だよね。でも、こういうふうに生きるのもあなたの人生だよねって。それも、あなたの人生。だから、どういうふうに生きたっていいし、「どう生きたいの?」って聞くし。
そうそう、撮影してて、「自由に公園を楽しんでいていいんですよ」と言うと、新宿御苑で撮るとしたらね。「え!!!自由ってどういうことですか?」って・・・
ーーーあら・・・
「なんか指定してください」っていう人が結構多かった。分かんなくはないけど、別に普通に風の音を感じたりとか、風を普通に感じたりとか、目で緑を感じたりとか、そういうふうにしててもらえればいいかなぁーー、と思うんだけど。そうはうまくいかないんだな、みんな・・・
俺のやってるやり方って、お互いをお互いに委ねるやり方だと思うんだよね。
だから俺も、相手が自由にやって、いい写真が撮れるってわかるから、「自由に動いていい」って言うし。相手も、何をしていてもこっち(Tsugu)がいい写真撮ってくれるだろう、っていう信頼関係で委ねてくれたら、多分、一番いい状態で撮れる。
だからすごく開放的というか。のびのびできる撮影が俺の撮影だなぁと。それが売りだろうし、それが究極高まった写真が、俺の撮影の中で一番いい出来の写真になるんだと思うしね。
人・場所・空気 すべてに身を委ねる撮影――――――――-
ーーー今までの写真の中で「これすごい好き!」っていうの、自身ではある?
あるよ。ある・・・うん。あるけど、すごく良くて「この時のアレがね!」っていうのもあるんだけど、ポーンとすぐ出てくるほど「これがよかった!」っていう感じでもないんだよね。「ああー、あれ、よかったね」っていう感じ。・・・いや、でも・・・昨日編集してたやつなんだけど(笑)。
沖縄で撮ったマタニティの写真。あれはいいね!
ーーーうんうん!
なにがいいかっていうと、編集の幅がものすごく広い写真が撮れて。要は、どういう風に色を作っていっても絵になる。絵になりすぎるから「こっちもいいよね、あっちもいいよね、ああーでもこうもいいよね」となる。「ホワイトバランスで青っぽくする感じも、いいよね」「でもそのままの感じ、太陽光で目に見えたまんまの色に近い感じもいいし」「ちょっと赤っぽくしてもいいよね」と。「でも白黒とかにしても、ああ絵になるね」っていう転ばし方がいっぱいある。編集して迷うってあんまりないんだけど、あのマタニティの写真はすごい。
ーーーそれは、なんでなんだろう?
あれは、完全にお互いが委ねてたってこと。その空気とか環境にも委ねてた。お互いだけじゃなくてその場全体に。お互いがお互いを委ねられていた。それでああいうすごい写真ができたんじゃないかなって。
ーーー撮る人と撮られる人と場所とみんな調和して?
してた。ああゆうのは、あんま多くはないね。
ーーー全部、揃うことが?
そもそも相手が100%どーんて(委ねて)くるのが少ないしね。それができてなおかつ、「場所にも」っていうのがそんなに起こんないし。
ーーー確かにね、場所もとっても大切だしね。
うん。どこで撮るかっていう。
ーーー本当に! いい体験なんだね。
うん。不思議な体験なんじゃないかな、あれは。俺もあっちも。
インタビュアー・文:佐藤美の