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【ライブ配信】ビジネスにも恋愛にも共通するモテる人とはどういう人なのか?対談:亀井 弘喜氏

7月8日まで毎日継続中の人柄写心家TSUGUとLIVE配信。

今回はその中でも大好評だった亀井弘喜氏の対談をまとめました。

テーマは【ビジネスにも恋愛にも共通するモテる人とは…】

 

視聴者からの質問も交えながら、気付きがたくさんだった!という配信をまとめましたので、ぜひご一読くださいませ。

2人にとってライブ配信とは

 

2人にとってライブ配信とは?

亀井)
【価値の先出し】、スピリチュアル用語で言えば【愛】

自分の内側からあふれ出る愛や気づきを、社会の人に届けようと思ってもなかなか届けられない。

 

つぐさんがカメラマンとしてなぜこんなに売れ続けているかというと、知り合いにカメラマンは何人もいるけれど、ライブ配信を四十何日もやっているカメラマンはいない。人よりも優れた結果を出したかったら、人と違うことやること。

 

同じセミナー講師でもライブ配信をやり続けてる人は少ない。やろうとしないし、やったとしても盛り上がらずにコメントが入らない。人が変わろうと思ったら、時間とお金をかけたほうがいいと思うけれど、変わる前の【気づき】のところがまず大事。だからコメントをいっぱいもらえるようなインタラクティブな配信ができたなら、わざわざ高いお金と時間をかけてセミナーを受けなくても、変わりたい人が【気づく】ところまではいけるんじゃないかな。

 

TSUGU)
なるほどね。このライブ配信は気づきが多いですよね。気づきのきっかけ。
自分たちもそうだと思うし、見てる人たちも気づきの種がちりばめられてると思うしね。

 

TSUGU的モテる論

 

TSUGU的モテるとは、【人が集まっているかどうか】

 

そして「すごいモテてる」と周りには見えても、本人は「いや全然だよ」と思っていたらそれは【モテてない】になる。

だから 本人がどう感じているか。

 

TSUGUが「カメラマンとしてモテてる度合い」と「男性としてモテてる度合い」を自分につけるとしたら 10 点中 10 点をつけたいと思っている。カメラマンとしての度合いは独立した頃からずっと上がり続けている。

 

カメラマンとして最初の頃や、男性としてモテなかった時期は「自分ってモテてない」ということをものすごく自己認識していた。 元々、自分に期待がなかったから「何かやっていったら積み重なる。それをやり続ければ変わる」と思っていたし、実際に積み重ねていったらできるようになった。これが自信として積み重ねの一番底にあるものだと思う。

 

中途半端にできていたら絶対努力しないから、自分に期待を感じていなかったのが良かったと思う。小学校・中学校の時は勉強もできなかったし、運動も普通という状態でバカ、バカって言われていたので、「バカなんだから、やったら変わるよね」とずっと思っていた。

 

ずっと色んなことを積み重ねてきたので、それがビジネスにしろ恋愛にしろ【全部が積み重ね】になっていると思う。掛け算とかはないけれど、ずっと足し算をやり続けてるから今がある。

 

親が社長で実家が金持ち、そんな共通点から出来上がったパートナーシップ論

 

2人の共通点の一つは『親が社長』で『実家がお金持ち』。そのバックグラウンドがつぐさんの恋愛観とかパートナーシップ観、モテる論とかにどう影響したのか?

 

お金の面とかは結構大きいと思う。お金もあるし、家庭もあるけど、親父はいつも1人な感じがあって、それでも幸せそうじゃなかった。会社にいるのをずっと近くで見ていたけどいつも怒ってるみたいな感じで、いつも楽しそうにしてる気配はない感じだった。だから「お金じゃ幸せになれないんだな」っていうのは、なんか気づいたし思っていた

 

亀井的モテる論

 

亀井さんにとっての『ビジネス的にモテる』イメージは、今住んでいる【鹿児島の源泉かけ流しの温泉】。

 

尽きることなく豊かなものが溢れていて、それをみんなでシェアするべくそこに入りに来ている。

 

「あなたは汚いから入れないよ」みたいなこと源泉かけ流しの温泉は言わないし、それで続いている。溢れ続けていて、人が来続けていて、それによって銭湯のおじいちゃんおばあちゃんも儲かっているし、憩いの場にもなる。

 

つまり【循環】。呼吸のように、循環が悪くなると人生って悪くなっていく。

 

モテるビジネスとは与える・分かり合う人集め

 

 例えばパートナーシップでは、【源泉かけ流し】の人は愛が溢れていて、その溢れている愛は異性だったら受け取りたいと思う。

 

でもそれが屈折している人がいて、成功しているのに満たされない人たち。その人達は源泉かけ流しの温泉ではなくて、『お湯持って来いよ』と言ってみんなの家から人やお湯を集めて、お湯を寄付させる感じ。

 

だけど持ってきたお湯ってすぐに冷めちゃうから、『二杯目持って来いよ』ってなるし、『明日も持って来いよ』ってなる。 それがブラック企業の原型なんじゃないの?と思う。

 

そして『不足しているから持って来い』というオーダーが欲しい属性の人達がいる。

 

奪う側と奪われる側、加害者と被害者ってイコール。

 

だから『お湯持って来いよ』って言う人と『ハイ!持ってきました!』って言う人達ってS極とN極で同じ世界を生きてると思う。ブラック企業に勤めてたり経営する経営者と、そこにうっかり入っちゃう人達というね。

 

亀井さんが目指しているモテる(ビジネスでいえば集客できている)というのは、その奪う方の人集めではなくて、与える・分かち合う方の人集め。そこに来る人は『この人にお湯をあげたいな』とか『お湯持ってこいって言われたから来ています』ということではなくて、 『ここのお湯いいよ!あったかいから入っていかない?』という感じで言われて入っていったら、同じように温泉楽しんでいる素敵な人達がいたという感じ。

 

借り物主義で生きると軽やかに幸せになるってどういうこと…?

 

 亀井さんは鹿児島でヨガスタジオを経営、ヨガインストラクターをしている。

 

ヨガの世界で 『借り物主義』という亀井さんが解釈した教えがある。

 

【人生はすごくシンプルで、『所有主義』で生きると辛く苦しくなっていって、『借り物主義』で生きると軽やかに幸せになる】 というのが、ヨガの道に進んで以降の亀井さんが持っている人生のコンセプト。

 

だから、愛も同じで愛を所有しようとすると嫉妬になる。『私の彼氏』と思うと、他の女性と話していることに腹が立つ。これは源泉かけ流しで言うと、無限に湧いている温泉なのに 『なに私の湯船に入ってきているんだ!』と怒っているおばちゃんと同じ。

 

亀井さんとしては、カーシェアリングや民泊が流行していることもあり、時代と地球が『借り物主義』に向かっているような気がしている。 このライブ配信も品川のホテルからしているけれど、この部屋は亀井さんのものじゃない。 でも「俺の部屋に来てよ」って言っているし、無意識のレベルにまで『所有』と言うのは入っている。でも入ってもいい。楽しいから。

 

お互いに心地よさを保つための健全な境界はあっていいけれど、5歳児の虐待の話のよう にとんでもない出来事が隣の部屋で起きているのに、それに気づけないという牢屋みたいな境界線の強さが今の世の中にはある。人間が境界線を引きすぎた結果現象としてのこの地球な気がしている。

 

ただ、一部なスピリチュアルな人達、コーチ、カウンセラーやセラピストの人達、共感力の高い人達は逆のレッスンが必要になる。そういう人たちは共感力が高すぎて相手と一体化しすぎてしまって、変に好きになられてしまったり、変に好きになってしまったりする。金銭や関係性、恋愛感情という意味でも相互依存みたいになって、物理的にもエネルギー的にも切れないことがある。そういった役に立たない方の一体化、ワンネスの問題と、境界線の強さと。その間にある世界が本当の世界だと思っている。

 

つまり、「このポカリはつぐさんの物だね」と言いながら、「このライブ配信は俺たちのだね」 と言えたら健全だけれど、線を引くところと引かないところが逆になるとキツいんじゃないかと。例えば「このポカリは俺たちの物だから口移しで飲もうぜ」って言いながら「このライブ配信の客は俺の客だぞ!」って言っていたら、豊かさは循環しない。豊かなカメラマンと豊かなセミナー講師がいたら、豊かなそれを受けたい人を分かち合えばいい。

 

浅い絶望はなにも生み出さない

 

 亀井)

この世界に地球や人間世界のクリエイターがいるとすれば、設定だと思う。

 

ドラクエだったら、敵も弱くて、仲間がいなくてもクリアできちゃう楽々ドラクエだったら誰もやらない。だから、レベルアップする必要があったり、パーティーが現れたりする。そうやって、難易度をわざわざ上げて楽しんでるのがドラクエだとするならば、この人間世界も面白いなと思うのは、こういう主義の人のことを好きになったり、こういう人間が好きになる 女性ってすごい依存的だったりとかするところ(笑)

 

つぐ)

難しい難易度で人生クリアしようとしてる人が最近多く見える。もっと簡単に考えたら現実はそんな動いてないというか、難しいものじゃないし、本当は何も起きてない。でも頭の中で変に妄想だけ進んじゃったりとか、不安からの妄想で勝手になんかこういう風になっちゃうからやめとこうとか、行動しなかったりとかっていうのが多いけど、起きてない事に対して時間を使いすぎだなと思う。その時間を他の時間に使ってあげたら、ただ単純に幸せになれる可能性が増えるんじゃない?って。

 

そうは言ってもやめられない…のは習慣だから、毎回ストップさせればいい。考えてるなって時点で一回、「今考えてるな」って認識して一回やめようって思って、他の事なにか始めてもいいと思う。でもそこをずーっと考えっぱなしにすると、その時間がより増えていくので、考えていたらまず一回止めるとか、一呼吸おくとか、習慣を逆につけていく。

 

それで新しい何かをまたすぐ始めるでもいいし、ちょっと没頭できること、家事や掃除、食器洗うとかでもいいから、時間を切り替えする。(つぐさんの場合はそれがマンガ。マンガの世界に入っていました。)

 

亀井)

それは心理学用語でいうところのメタ認知。亀井さんの感覚だと、妄想する人間モードの自分がいた時に気づいてパッて自分から離れる感じがあるけれど、それをメタ認知と言って、自分のことをちょっと後ろから眺めること。眺めるツールにヨガはとっても役に立つ。 多くの人が自分をメタ認知する習慣を持ってないからちょっとしんどくなっている。

 

人間 「私」の世界しかないとするならば、こんなひどいは世界ない。残忍な事件が度々起きる世界には「ああ素晴らしい世界だな」ってなかなか思えないけれど、その一見残酷な世界をどうやってしのいでいったらいいかというのが亀井さんはずっとわからなかった。

 

その残酷な世界に絶望するか、戦うかの二択しかなく、両方やってみた。戦うバージョンで言うと、受験戦争、就活競争、出世競争や成果に打ち勝つということ。でも、世界の残酷さにはとてもじゃないけど勝てなくて、結局、26、7 の時にひどい鬱になった。鬱って経験したから分かるけれど、良いも悪いもなくて、ただの絶望。ただ瞬間瞬間、絶望している。

 

ただ、今の自分から振り返るとわかるのが、毎日絶望していたらいつか救われるんじゃないか と思っていたこと。 それで分かったことは『絶望が浅かった』ということ。絶望していたら誰かが救ってくれる ような気がしていた。それは精神科のお医者さんや薬だったのかもしれないし、最終的に 親だったのかもしれないけれど、浅い絶望はあんまり役に立たないことが分かった。

 

でも、 深い絶望はものすごく役に立つ。 どんな業界でも成功している人はとてつもない絶望を味わっている。だから、上手くいかないとか成功したいとか言っている人達には声を大にして「絶望が浅いよ」と言いたい。

 

つぐさん)

撮影とかでも絶望する人がいる。でもそれが中途半端だと逃げてしまう。何に絶望しているかっていうと、写真が気に入らないとかそういう風になって、他の人が撮ってくれたらよくなるだろうと。

 

そういうのが浅い絶望。

 

亀井)

浅い絶望は、他人への不満とか攻撃に変わる。でも深い絶望は、徹底的に自分に向く。その時に何かを越えるんだよね。

 

―絶望を深くするためにはどうしたらいいんですか?

つぐ)私事として考える。

 

―深い絶望というのは「もう死にたい」みたいなことですか?

亀井)深い絶望というのは「もう死にたい」とは違う。むしろ生きたいんだよね。

つぐ)生きたいんだけど、打ちのめされてる。

 

人間の強さ=アイデンティティを何回捨てたか

 

 亀井)

亀井さんの好きな言葉は【人間の強さというのは、アイデンティティを何回捨てたかというのに比例する】というもの。

 

倒産した社長、破産した人、離婚した人は強いというけれど、アイデンティティ脱ぎ捨ての数や度合いが結構大きいのかなと思う。亀井さんの場合でいうと、鬱病になった時にすごく大きかったアイデンティティの脱ぎ捨ては『エリート』だった。

 

自分のことをずっとエリートだと思って生きていて、それが自分のことを守ってくれている守り神みたいなものだと思ってた。でも鬱病になって休職して一年間薬飲み続けて、笑えない、起きれない、食べれないとなった時にそれはエリートじゃないって思った。

 

ということは、この『エリート仮面』 を脱がなきゃいけないんだなって思った時に、「やばい!アイデンティティがない!」ってなった。ずっとエリート仮面の鞍替えをしてきただけだから。『エリート仮面』を脱がなきゃいけないとしたら、何があるだろう? ってなった時に、空っぽだって気づいて。元気になってきた時にも空っぽさに気づいちゃっているからやりたいこともなくて。アイデンティティもないから。

 

でもその時に自分なりに良かったなって思っているのが、「どうせ空っぽなんだったら人の役に立ちたいな」って思った。 それまでのエリート主義の頃は、人の役に立つかどうかじゃなくて、自分がどう見られるかだった。だけどどうしようもなく鬱病になっちゃった時に、空っぽさに気づいたら「役に立つことぐらいしかやることないな」って思った。

 

エリート仮面かぶって最後鬱病になって26で絶望する、自分みたいなヤツを作らないようにしたら地球はもっと良くなる!と思って、就活の支援をしたいなと思った。学生の段階で気づけたら、と思ったけれど、当時は就活支援の仕事がなく、社会人の転職支援の仕事しかなかったから人材の会社に行った。でも、やっぱり会社に入ったら、その『役に立ちたい』 という純粋な思いだけじゃいられないんだよね。でまた会社の中でいろいろあてがわれる 役割、地位、肩書き、名刺とか・・・そういうものにアイデンティティを明け渡してしまって。 それでまた2周目見失っちゃった頃につぐさんと出逢った。

 

あの時はアイデンティティが欲しかったのよね。役に立ちたかったの。 ただ、その後にヨガの世界とか色んな所に行って気づいたことがあって。ああ、俺「役に立ちたい中毒」になってたわ、と。逆に今度「役に立つこと」がアイデンティティになってた。 だからそれすらも脱がなきゃいけないんだと思って。 役に立ちたい、はマシなエゴ。エリート主義者よりはマシなエゴ。それで、その時出会ったのがヨガ。ヨガは俺の中では本当にアイデンティティ脱ぎ捨てた先にあるものだったのね。だからヨガだけはこれから一生生きてる限りやろうと思ったのは、色んなアイデンティティマントというか仮面を着ちゃうから、すぐ。

 

役に立っていいんだけど、そうじゃない自分に芯を持って、分かっててそのポジションに行かないと危ないなと思う。それが人によって方向性が違うんじゃないかな。恋愛にアイデンティティ根こそぎ持っていかれる人もいるし、お金に持っていかれる人もいるし、ビジネスの成果に持っていかれる人もいるし。地位とか名誉とかに持っていかれる人もいる。

 

自分の人生が気にいらないときにするべきこと

 

 亀井)

「ヨガってなんですか?」って聞かれた時は「あなたがヨガだと思ってるものがヨガですよ」って答えるんです。つまり人生と一緒。「人生ってなんですか?」って聞かれたら絶対的な答えってない。あなたが人生だと思っているものが人生ですって。だから、自分の人生に気に入らない部分が生まれたんだったら、自分が人生だと思っている何かを変える必要があると。

 

―亀井さんの今のアイデンティティはなんですか?

亀井)【愛ある魂】。もうちょっというと【愛ある意識】ですね。

 

特にこういうライブ配信の 時は「人間、亀井弘喜くん」がしゃべってる感ゼロで、意識というものがすごく遠いところ にあってその意識からしゃべってる感じ。これがスポーツで言うところのゾーンと似ているけれど、入ろうと思うと入れない。だから人間、亀井弘喜くんを消し去って素晴らしいものをおろそうと思えば思うほど人間、亀井弘喜くんがすごいムクムク出てくる(笑)

 

世界の人はみんなパイプがあてがわれてるような気がするのね。素晴らしい世界というのはなんか上のほうで一つ。で、残酷な現実というのもまた下のほうで一つ。人間ひとりひとりにあてがわれているのはさ、自分という名のパイプで、上下どちらの力が強いかによって明け渡されるというか。

 

残酷な世界の方を見て「なんだこの世界残酷だ、ひどいな」って思ったら素晴らしい世界の方はないことになる。でも素晴らしい世界の方からのメッセージとかエネルギーとかに関してクリアなパイプになれたら、残酷な世界は残酷じゃなくなるわけではないかもしれないけど、「残酷ではないな」って感じられるようにはになってくるとか、世界はそのままで素晴らしいんだなって感じて生きて死ぬっていう人たちが増えた ら、世界は実際に素晴らしくなると思うんだよね。

 

僕はクリアなパイプになりたいんです。できる限り僕がクリアなパイプになって世界の素晴らしさをみんなに伝えたいなと。大概の人は世界を良くしようとする。その世界を良くするのに手っ取り早いのが他人を救 うことだから、みんな他人を救いたくなる。でも救おうとするほど、自分という名のパイプが濁る。だから救わない。見守るの。楽しんでるねって。その世界を楽しんでいいよって。 ただ、もし抜けたかったらおいでって。もっといい世界案内できるよ!…っていうポジションにいたい!

 

なるべく透明なパイプでいるためには濁ってる自分に気づく、気づき続けること。エゴをなくそうとしないで、追いやろうとしないで、仲良くしてあげる。頑張り屋さんだから、その人も。 きれいに見られたい、よく見られたいとも近い。ライブ配信が本質的だなと思うのは、「よく見られたい」って言う人にはできない。全ての瞬間写されてるから、化けの皮がはがれる。

 

ポジション取ってる人は余計できなだろうし、つぐさんが毎日続けられるのもポジション取ってないから。ポジション取らないって、最強。ただ、それはポジション取った後ね。守破離の守があるから。

 

―今日の感想は?

つぐ)絶望するってことが本当に大事なんだなっていうのを確信しました。

 

絶望した方がいいよっていうのは前から言ってたけど、浅い絶望と深い絶望があるっていうのを「ああ、 そうだな」って僕も思ったし、その深い絶望を人生のどの段階でできるかっていうのもその人の成長がどんどん変わっていくんだなっていうのもあったし。そういう風なのを写真で、 キッカケっていうのも写真で提供できているんだろうなと。

 

で、それに気づけた人が僕のクライアントさんとかお客様でガツンと変化していく人は多分そこに気づいた人か、自分のエゴとかにも気づいて変化していくんだなっていうのがすごく気づけた感じ。

 

亀井さん)僕の感想は、僕のを見ている人もつぐさんのを見ている人も気をつけて欲しいことがあって、こういう話すると生真面目な人は「じゃ、どうすれば深い絶望できますか?」って絶対くるのね。声を大にして言いたいのは、絶望をしないにこしたことないよ!と 笑

 

わざわざしなくていいから!笑

 

絶望は、僕男性だからこないんだけど最近この例えがマイブームなんですけど、何でも女性の生理に例えるっていうの変なブームがありまして。ことあるごとに「生理と一緒だよ」って言ってるんですよ。「いくんじゃない、来るのを待つんだ!」って 笑

 

ただ定期的にこないとちょっとおかしいなって自分の何かを疑った方がいいよって。ないことにしてるんじゃないの?と。

 

 

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今回対談をした亀井弘喜さんは単独でも不定期でFacebookのライブ配信をされています。
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